『インドネシア・スマトラ沖地震TDMAT活動報告0116(1)』
2005年01月16日
14日
15日インドネシアに出発する第2陣のための準備。
橋爪先生から、現地で不足している注射針や抗生剤などの要請があり、第2陣に持たせるためグループを通じて全て用意。
20時より、東京本部にて、第2陣メンバーのオリエンテーションと壮行会(TDMAT事務局、鈴木専務参加)
橋爪先生より報告。本隊を離れ、翌日バリ・タバナン病院にて能宗総長とサンチェナ先生らと今後の打ち合わせを行うため、 ジャカルタに移動。
デンマークチームの仮設病院の外来がスタートし、松尾先生他数名のメンバーがチームに加わって、診療を開始。デンマークの仮設病院とファキナ病院とは車で約40分の距離があり、通信手段の確保が急務。
事務局としては、第2陣に携帯電話を2つ持たせるが、通信状態があまりよくないため、ほかの手段も考案中。デンマークチームの大掛かりな設備について、今後のTDMATの国外での活動に役立てるため、搬入法、機材メーカー、スタッフ構成、 方法論など調査。
アチェでの診察患者数も報告あり。
13日 ファキナ病院 7名・・・・・デンマーク 2名
14日 ファキナ病院 17名・・・・・デンマーク 117名
15日
インドネシア派遣 第2陣の9名が成田発ジャカルタ行きJAL725便にて11:30、無事出発。
メンバーは以下のとおりです。
札幌 | 清水 徹郎 先生 |
長崎北 | 松田 英生 先生 |
静内 | 内 洋一 先生 |
八尾 | 木田 好彦 薬剤師 |
福岡 | 梅林 康司 看護師 |
茅ヶ崎 (現:湘南藤沢徳洲会病院) |
濱田 達也 看護師 |
茅ヶ崎 (現:湘南藤沢徳洲会病院) |
荒幡 信也 調理師 |
東京本部 | 津乗 正勝 事務 |
東京本部 | 江澤 史佳 事務 |
全員元気に旅立っていきました。
15日 13:00
橋爪先生より連絡。
サンチェナ先生と能宗総長らとの会合の結果、23日を以ってインドネシアからの撤退方針をだす。
結論はこの日の夜の幹部会、理事長の判断を仰ぐことに。
15日 21:00
幹部会にて、TDMAT事務局の中村燈喜先生が以下の報告を行った。
今回の活動の反省点
- 1.スピードが足りなかった
- ネゴシエーション(交渉)に経験と押しが足りず、救援物資の搬送さえままならなかった。
- 2.カウンターパートナー
- 現地のコーディネーターに頼りすぎていた。独自に様々なルートを開拓すべきだった。
- 3.なにより海外医療協力経験が無かった
- 海外用薬剤説明の未整備。広報もまだまだ不足。
今後は
スピードと強力なネゴシエーションを持ったコーディネートを勉強し実践していく。
カウンターパートナーは、今後建つ海外の徳洲会病院を基点。
薬剤部に海外支援セットや薬剤一般名英語表記に協力してもらう。
さらに
冷めないうちのプレスリリースをさらに心がける
- 徳洲新聞だけでなく、各新聞社に電話とFAXなど。外務省へNGO担当へのパイプ
NGOを目指す
- 外務省と普段から付き合っておく。海外への医療援助や災害協力のため。
熱帯感染症センター
慣れていない日本人医師等の熱帯感染症研修
ウガンダなどアフリカに建設予定の徳洲会病院に熱帯感染症センターを建て徳洲会医師の研修をおこないたい
海外災害医療支援の研修も含む災害医療派遣を若い医師の教育とも位置づけたい
23日の完全撤収は止む無しというところ。
その後理事長から、こういった話を頂きました。
今はインドネシアも、政府も、周りの支援国も、NGOも少しずつずれている
理事長自身ならもっと強引に、色々なことをやるが 今は無理をするとけが人が出る
残念ながら今はまだ徳洲会の力が及ばない 無理はするな、とのことでした。
とりあえず、タイにおけるTDMATの活動の記録をまとめた写真展を行うことを了承された