ベースキャンプよりの報告 99/10/02
10月1日の活動報告第1班:OFF(林口長庚記念医院に帰還)
第2班:旧814陸軍病院跡地診療班
診療者数41名(内科22、外科19)
骨盤骨折の患者は比較的軽傷
ストレス反応の女性が出てきている
第3班:東勢国民小学校避難所診療班
診療者数93名(内科73、外科20)
地元の人がいろいろ世話を焼いてくれる
第4班:石城小学校避難所
診療者数22名(内科13、外科9)
再診患者が多い、3名下痢患者
ここのトイレは水が使えとても綺麗
薬の数が少なくて苦労した、特に整腸剤
今日は大雨が降って大変だったそうです。下痢患者が2日前より減少してきた印象、実数調査中
東勢中学校のベース基地は学校の再開が迫っているため、診療所が校庭外に移動。
避難所になっている施設の正常化に伴い中期的な展望にたった救援活動の策定が必要
通訳の申し出現地のボランティアが来てくれて通訳はほぼ充足
撤退時期今後、被災地の医療を立ち上がりを見守りながら最終的な引き上げ時期を検討中ですが、現在のところ10月下旬を予定しています。
メンバーの一部が帰国します末吉敦先生、坂本一喜先生、江原伯陽先生、富永圭一ME、岩本一也MEの5名が、10月3日台北14:25発、18:25羽田着の中華航空18便で帰国します。
ご苦労様でした<m__m>
また、通訳ボランティアで頑張っていただいた学生の劉さん、林さん、郭さんは学業のため昨日で隊を離れました。
彼らのお陰でコミニュケーションがうまくいきました。本当に感謝です。
第3次派遣隊が出発します
| 10月2日出発 | 10月3日出発 |
|
田川 豊秋 (医師:神戸) 栗岡 宏彰 (医師:宇治) 田原 代志枝 (看護婦:千葉西) 財 紀代 (看護婦:鹿児島) 野沢 敏昭 (看護士:鎌倉) |
竹内 克彦 (医師:大和) 根笹 智恵 (看護婦:札幌東) 倉田 真紀 (看護婦:札幌東) 山崎 宏和 (看護士:大和) 渡辺 英樹 (ME:鎌倉) 浦里 博史 (看護士:神戸) |
| 10月4日出発 | 10月6日出発 |
| 松元 陽一 (医師:岸和田) | 阿部 好弘 (医師:鹿児島) |
本日の予定10月2日の各班の行動予定(班の名称が変わりました)
| 第A班 旧814陸軍病院跡地診療所(仮設住宅) | ||||
| 小芝 章剛 | 医師 | 札幌東 | ||
| 劉 孟娟 | 医師 | 名瀬 | ||
| 荻原 省武 | 薬剤師 | 福岡 | ||
| 岩本 一也 | ME | 岸和田 | ||
| 宮島 康彰 | 看護士 | 八尾 | 5名 | |
| 第B班 休息日(林口長庚病院へ) | ||||
| 青木 重憲 | 医師 | 茅ヶ崎(現:湘南藤沢徳洲会病院) | ||
| 清水 徹郎 | 医師 | 札幌 | ||
| 栗間 孝之 | 看護士 | 札幌 | ||
| 小泉 恵子 | 薬剤師 | 千葉西 | ||
| 高山 淑衣 | 検査技師 | 千葉西 | 5名 | |
| 第C班 東勢国民小学校避難所派遣 | ||||
| 村井 政史 | 医師 | 鎌倉 | ||
| 津畑 学 | 医師 | 鎌倉 | ||
| 末吉 敦 | 医師 | 宇治 | ||
| 近藤 芳憲 | 看護士 | 鎌倉 | ||
| 張 羣 | 薬剤師 | 中部 | ||
| 富永 圭一 | ME | 福岡 | ||
| 陳 介任 | 鹿児島大学医学部6年生 | ボランティア | 7名 | |
| 第D班 石城小学校避難所派遣 | ||||
| 坂本 一喜 | 医師 | 岸和田 | ||
| 天野 知徳 | 医師 | 宇治 | ||
| 亀山 賢司 | 薬剤師 | 鎌倉 | ||
| 岩澤 隆義 | ME | 千葉西 | ||
| 斉藤 喜博 | ME | 札幌 | 5名 | |
| 第E班 東勢国民中学校ベースキャンプ | ||||
| 徐 嘉英 | 医師 | 羽生 | ||
| 吉 紀三 | 看護士 | 名瀬 | ||
| 鈴木 論貴 | 放射線技師 | 千葉西 | 3名 | |
帰国準備江原 伯陽 (医師:エバラこどもクリニック)
郭 冠宏 (東北大学医学部5年生:ボランティア)
劉 孟霖 (鹿児島大学医学部5年生:ボランティア)
林 志光 (筑波大学医学部4年生:ボランティア)
現地通訳ボランティアが各班に入っています
明日よりベース基地が変更され、また班編成を変更し1班がが1日に2つの診療所を回る予定です
会議本日、台湾衛生局責任者、地元政府責任者、東庚病院院長、TDMATで、今後の地域の医療協力体制について会議がもたれます。





