ハイチ共和国の大地震に際し、TMATは1月14日いち早く先遣隊を派遣、その後本隊第一陣(11名、1月17日出発)、第二陣(11名、1月21日出発)、第三陣(9名、1月25日出発)と順次派遣して参りました。このうち24日の先遣隊の帰国に続き、本隊第一陣も所期のミッションを果しましたので、26日午後の便で帰国しました。全員健康には問題ありません。帰国隊員の中で瀬戸看護師(四街道徳洲会病院 看護部長)は次のように語りました。

「気候は予想通り暑く、砂埃が立つほど乾燥していた。インドネシアの津波の後は遺体の腐敗が激しかったが、当地では乾燥のためか異臭はなかった。

治安に関して日中は国連軍が警備しており怖さを感ずることは無かった。夜も一人歩きはしないというルールを守れば問題は無かった。

患者さんは下肢部の骨折が多く整形外科の先生の需要が多かった。感染症も見られたが、対策が取られていない状況である。痛みにはモルヒネが常用され、日本から持ち込んだ鎮痛剤は余り効かないようであった。現在骨折等急性期の治療はほぼ完了し、今後は慢性期の治療に移りつつある。

援助隊は米国各州、韓国、中国、スウェーデン等から多くのNPO団体が来ていた。女性看護師も多かった。

TMATは最初の2日間はドミニカの国境の町ヒマニで急性期の治療(夜間診療を含む)を実施し、その後はハイチの首都ポルトープランスに移り、当地のコミュニティホスピタル内の広い敷地に設営された野戦病院のようなテントの中で術後の病棟回診等を担当した。

困ったことはコミュニケーションであった。ハイチ、ドミニカとも公用語は各々フランス語、スペイン語だが一般の人はクリオール語を話すため、日本人は英語-フランス・スペイン語-クリオール語と3人の通訳を介して意思疎通を図る必要があった。それでも何とか通じ会えることは出来た。」

なお現地活動状況は徳洲会グループホームページの詳細をご参照下さい 。
徳洲会グループHP 災害医療活動
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本隊第一陣帰国後の集合写真(左端:田川隊長、左から4人目:瀬戸看護部長)

本隊第一陣帰国後の集合写真
(左端:田川隊長、左から4人目:瀬戸看護部長)