ベースキャンプよりの報告 99/09/26 18:00

新しい避難所を設立本日、旧814陸軍病院跡地に東勢地区の避難所を一つ長庚病院と協力して設置した。それまでは、地元ボランティア医師1名看護婦数名で診療を行っていたが、引き上げたため。陸軍の協力もあり、3~4時間で電気、トイレ、電話などのライフラインが整った。とても広く平地であるため、行政側がここにこの地区の仮設住宅設置を予定しているため、今後医療需要が広がると予想される。

明日より20人が一度に入浴できる入浴車が入るため、この地域に5カ所の入浴施設が出来ることになる。 スタッフも風呂に入れる。

先遣隊はすでに3日以上風呂に入っていないが、明日より東勢国民中学校にも入浴施設が出来るため、やっとネズミのような顔が綺麗になると、劉先生などは喜んでいる。

明日より新しい避難所を担当明日より東勢国民小学校(ベース基地の国民中学校からは離れている)の避難所も担当する。台湾人チームが当初から入っているが民間ボランティアで、明日より撤退するため。

当初から頑張っている地元の台湾人医療チームも発生から5日経ち、継続が出来なくなっている。今後徳洲会だけではなく公私とも組織的に交代等のバックアップをしていかねばならない。

怖くて住めないこの地域では、まだ、5%ほどしか自宅に戻っていない。余震で家の倒壊を恐れている。このため、避難所はまだ被災者が増えている。

他の班の活動東勢郊外の石城小学校では70人以上の診療を行った。井戸水が豊富で、水の確保は出来ている。マンパワーはまだ必要で探せば仕事はいくらでもある。

本日朝2時間半かかって山道を超え南投県埔里鎮西寧道の避難所内の診療所に入った班は、200名を越える患者の診療を行った。風邪や慢性疾患を中心とした診療内容。近くに中台禅寺という1000人近くが修行する寺があり、僧達のバックアップで、食事(精進料理!)や入浴が可能であった。ここも長庚病院のスタッフが今後も診療所を続けるが、TDMATもこれを手伝うか、東勢地域のみに集中し質を高めるか、検討中。取りあえず、本日深夜、東勢に帰還予定。

徐隊長と青木副隊長徐隊長は全体を管理する必要性、北京語がはなせることなどから、しばらく現地に張り付くつもりであるが、今回のTDMAT最高齢のため健康が心配。本人の心配事は、羽生病院の水曜日以降の小児科の体制だそうです。

青木副隊長は共同通信と中日新聞東京本社特報部の対応、地区の診療所の巡回、特に衛生面での配慮、今後の計画などを立案している。

どこも相変わらず暑く、衛生状態はまだ悪いところがある。他の地域で赤痢が発生したとの噂もあり、もともと腸球菌感染症で年間2桁の死亡者がある地域とのこと。

現地スタッフとの交流北京語、台湾語を話せないTDMATメンバーもこの数日で少しずつ身振り手振りで地元スタッフと意思疎通や冗談までいえるようになってきている。今後も言葉の壁は大きいが、地元スタッフに少しずつ受け入れられている印象。

TDMAT本部事務局あの衛星放送をする部屋に朝から夜遅くまで缶詰めでデータ整理や資料作成、派遣メンバーの自宅連絡、各病院への連絡、現地との交信、現地で起こった問題のコーディネート、マスコミや外務省への対応、理事長への連絡などであっという間に一日は終わってしまいます。お風呂には入れますが着替えもなく食事はおそらく被災地より悲惨かも知れません( ̄_ ̄;) (文責:中村燈喜)

やることは山ほどあり、今日も部屋をでたのは、昼の一時のみ。それに部屋は僕のへや以上にひっくり返っています(^_^;)。でも、鎌倉の医局秘書さんが、資料の整理や部屋の片付けなどしてくれており、とても助かっております。そうそう、「鉄は熱いうちに打て」の言葉どおり、TDMATの災害危機管理マニュアル作りも並行して作成中。でも、阪神の時の経験が本部運営にも結構役立っていることに驚いております。 (橋爪慶人)