最終報告
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先遣隊メンバー

先遣隊チームリーダ 橋爪慶人
河内順(医師)
萩原幹郎(コーディネーター)

活動期間

2006年2月20日(月)~24日(木)

経過

2月20日(月)

JAL745便にて成田からフィリピン、マニラへ向かう、

23:00 マニラ-ニノイアキノ国際空港着。

空港にはフィリピン赤十字のコーディネータが迎えがあり、宿舎まで同行していただきました。
宿舎にてミーティング。翌日からの活動内容、方針等について意見交換する。

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2月21日(火)

08:00に宿舎を出発、マニラ空港からレイテ島TACLOBAN空港へアメリカ軍海兵隊UC-12Fにて移動。TACLOBAN 11:00着。
TACLOBAN14:00発、チヌークCH-47にて14:40被災地のSt. Bernardoに入る。

15:30 オペレーションセンター(フィリピン赤十字管理)にて情報収集および医療支援の必要性について統括責任者のEDWIN PAMONAG氏、情報責任者のEOMEO ORILLA氏と協議する。

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避難者の大半は被災現場近郊の予防的避難。けが人は無し。
避難所はフィリピン赤十字の看護師が巡回診療し、ケアにあたっている。今のところケアは十分可能であるとのこと。

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16:30 地すべり被災地現場訪問

山の尾根を含めて側面が広範囲に崩落、ふもとに高さ数mの高さに土砂が積もる。
村があったというが、土砂により村落全体がうまったようで周辺には田畑しかない。
村落全体が一気に埋まってしまったため、ほとんどが行方不明で外傷者が少数であったと思われる。

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地域保健所(一次救急指定)訪問 / ANAHAWAN DISTRICT病院視察訪問

St. Bernardo地区には2箇所の一次救急施設をかねた地域保健施設があり、そのうち被災地に近い保健施設を視察。地すべり後も外傷患者等の搬入は無いとの事。
St. Bernardo地区唯一のANAHAWAN DISTRICT HOSPITAL (50床、医師5名)を訪問。地すべりによって16名の患者が入院中。全員が軽症で、重傷者は搬送(空送)済み。

医薬品・医療材料・人的資源等について不足しているものは無いとのこと。
上記をもとにTDMAT本隊の派遣は不要と判断、本部に上申する。

→ 今回は本隊派遣は無しと決定、先遣隊も帰国することとなる。

21:00 持ち込んだ薬剤・医療材料はオペレーションセンターに寄付となる

抗生剤:オラセフ 250mg/1000C、サワシリン250mg/1000C、
消炎鎮痛剤:バッファリン/1000錠、カロナール/500錠、アンヒバ座薬/500個
整腸剤:ミヤB/1000包
医療材料:滅菌シーツ、縫合糸(ナイロン・絹糸・他)、消毒セット、他

夕食はオペレーションセンターの食事を提供してもらう

23:30 ゲストハウス(1室)を提供してもらう。

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2月22日(水)

06:00 St. Bernardo出発、車にてタクロバン空港へ移動

11:30 TACLOBAN空港着
14:50 フィリピン航空、国内線にてTACLOBAN空港発、15:40 マニラ空港着

2月23日(木)

14:50 JAL741便にてマニラ空港出発
19:40 成田着 先遣隊解散

活動総括

今回の災害は「地すべり」によるものです。もともと「地すべり」による被害は、限局しておりまた周囲の医療提供を含めた社会的インフラはほぼ温存されているため、地震等による広範な災害に比べると国際援助の必要性は少ないことが想定されていました。しかしながら、今回の地すべりは1000名を越える行方不明者という情報から、災害援助の医療ニーズの発生が想定されて出動となりました。

ほぼ村落の全体が数mの土砂によって埋没することにより、1000名を超える行方不明者が発生しました。しかし、負傷者は19名と死亡者を含む行方不明者の発生の割には非常に少なかったのは、限局した村全体が埋没し境界部のほとんどが田畑であったためと思われます。結果、医療サービスを必要とする傷病者が現地の医療提供の範疇を超えていないため今回は本隊の派遣は見合わせました。

3000名近い避難者も予防的な避難が大半であり、その意味からはPTSD等のメンタルケァを要する対象者も、フィリピン赤十字を含むフィリピン国内からの医療支援で十分にまかなえると判断されます。

反省点

被災国内での活動準備

今回は、徳洲会とのつながりの強い国と言うことで事前の情報収集、現地のカウンターパートナーについては比較的スムーズに進んだと思われます。そのため、フィリピン赤十字の協力も得ることができ、アメリカ軍による移送で被災地にスムーズに入れました。ただ、被災地からの帰途のルート確保ができていず、現地の協力いただいたフィリピン赤十字の協力を得ることでなんとか帰れましたが、彼らも私たちの活動について情報がほとんど無く協力が手薄だと非常に難渋したと想定されます。パキスタンに比べて被災地への入るルートがスムーズだっただけに、その前のフィリピン国内での交通手段や車・運転手等の調達、現地での生活等に関する情報収集・手配などが不足していたことが考えられます。チームリーダとして、隊員の安全確保ということからは次の活動においては注意が必要と考えます。

物資・装備

被災が限局し、周辺の社会的インフラが温存されているということで、食料・飲料水の確保は現地でも十分に行えました。実際には、フィリピン赤十字に協力(提供)していただいたのですが、宿泊等については難渋したようです。最低限、テント等を含めた数日の生活が行える装備は必要と思われます。

通信等

現地でのインターネット環境が確保できませんでした。できれば、衛星通信等を使ったインターネット環境の構築が必要と思われます。それ以外の音声通信等は問題ありませんでした。