[ ジャワ島医療活動日記より ]

6月10日

近傍の病院で手術を受けた鼠径ヘルニアの術後2日目が知らないうち に入院している。退院時期についてコンサルトを受け、「今日にでも退院可能」と答えるも、家がないのでもう少し入院を・・云々。地元ナー スに一任した。外傷で手術待ちの患者100名以上を抱えた病院がてんてこ舞いしている状況で、嵌頓でもない鼠径ヘルニアの待機手術を行う余裕のある施設が存在することに矛盾を感じる。

昨日から比較的外来の空いている時刻を見計らって周辺の被災区を巡回することにした。薬剤師の宮坂は数キログラム分の湿布をリュックに詰め込んだらしいが、あっという間になくなって「私はまだもらってないよ!明日必ずまた持ってきなさいよ!」と村のオバサンに言われたという。今回の活動では内服薬・注射薬は極力地元のものを使用しているが、湿布は日本から持参したものを使用している。湿布の需要は非常に高く好評である。処方箋上の表現は薬品名でなくcompress(コンプレ ス)と記載することになっている。かくして宮坂はタバナンチームスタッフにより「コンプレッサー」というあだ名が付けられた。

そういえばここ2日くらいの間に急に蝿が増えた。外来で重症感染症はまだ目にしていないが、今後の衛生環境の増悪が懸念される。もし今後熱帯地域に災害派遣の機会があったなら「蝿取りリボン」の持参を提案したい。

夕刻、現地に残してくる医薬品・消耗品の内容と使用法について現地スタッフに申し送り。宮坂薬剤師と地元スタッフの協議の結果、一部の薬剤を除きほぼすべてを寄贈することとなり、成分・標準使用量の確認作業が行われた。

当初は薬品・医療資材寄贈するにしても仕分け作業や保管場所の確保。 移動に相当の労力を要すると考えられたが、すべての窓口をクリニックの理事長に一本化することで現在の保管場所をそのまま使うこととなり、仕分けのやり直しの必要もなくなった。撤収準備は着々と進んでいる。

支援活動も終盤にさしかかると「お馴染みさん」の患者さんが出てくる。 一緒に記念撮影をしたり、涙を流しながら感謝の意を表す方もいて、「後ろ髪を引かれる思い」にかられることしばし・・・しかし残った診療と 撤収準備を淡々とこなしつつ、帰国後のこともそろそろ頭にちらついて多少混乱・・はて、今日はいったい何曜日だったっけ???

6月11日

午後は診療の合間に後片付けと清掃。小学校の時に宿泊研修で「来たときよりもキレイにしよう!」の合い言葉で大掃除をしたのを思い出す。

夕刻に重症なトラブルケースが来院。下腿の解放骨折で創外固定(レジン使用)を受けているが、骨折部が完全に露出し、骨断端が壊死に陥っている女性。化膿性骨髄炎でいつ重症化してもおかしくない。洗浄、抗生剤点滴で入院とした。「日本やったら有茎皮弁で何とかいけるけど、 切断になるやろな・・」と無念そうな當麻先生。

夜7時よりフェアウェルパーティがクリニックの裏手のテントで行われた。理事長のMCにより我々に挨拶の機会が与えられ、これまでの活動機会を与えていただいた感謝と、一日も早い復興を願うとともに今後のTMATに日本・タバナンに加えジョグジャカルタをメンバーに迎えたい旨の挨拶をさせていただいた。地元の一流レストランから招いたというシェフによるインドネシア料理を堪能し、最後の夜は更けた。

 

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清水 徹郎 医師 外科・救急
札幌徳洲会病院 勤務
台湾921大地震の第2陣メンバー。
その後、徳洲会災害医療援助隊の様々な活動に参加し、システム構成に貢献。
各種災害発生時の、情報収集活動に参加。
インドネシア スマトラ沖地震後の医療復興支援活動など、海外での活動も経験豊富。
今回のインドネシア・ジャワ島中部地震の第2陣隊長を務める。