1月13日地震発生、同14日以降TMAT(徳洲会医療救援隊)は合計33名の医療救援チームを派遣し2月3日第3陣の帰国をもってミッションを終了した。徳洲会グループの災害拠点病院である四街道徳洲会病院からは原野院長以下5名と多数の職員が派遣され、2月23日その帰国報告会が同病院で開催された。当日は千葉、印旛消防救急関係者10数名のほか行政関係者・医師・看護師・健康友の会会員等外部から40名以上の多数の医療関係者が詰めかけ、5名の報告者の体験談を熱心に聞き入っていた。災害は何時何処で発生するか分からないだけに30万人の犠牲者の出たハイチの悲惨な救援活動の様子は「他山の石」として当地域の災害救急関係者に深い感銘を与えた。なお当日は地元ケーブルテレビや新聞社の質問インタビューが相次ぎ熱気のある報告会となった。

報告会での派遣者の主な発言内容

瀬戸看護部長(第1陣)

「先遣隊とともに診療拠点を探すのに時間を要した。最初はハイチの治 安を懸念して隣国ドミニカ国境沿いの病院を足場にしたが、その後ハイチの首都ポルトープランスに入り、国連機関や国際救援チームと協議しながらハイチアンコミュニチーホスピタルを拠点に重症患者の治療に当たった。また宿営地の設営等チームが円滑に救援活動ができるように基盤づくりを行い第2陣に引き継いだ。」

「持ち込んだ医薬品等は現地に寄贈してきたが、説明書の英語翻訳に手間取った。事前に英語表記をしておくべきであったと反省している。」

上原事務主任(第2陣)

「現地の通信事情が悪く日本との連絡に手間取り困った。」

荒尾看護主任(第2陣)

「ハンガリー、韓国、チームと外来を担当、トリアージを行った。子供たちは治療をすると物凄い笑顔を返してくれ、言葉は通じなくとも気持ちが通じるのは万国共通と感じた。」

眞玉橋事務長(第3陣)

「左足を切断された少女の包帯の上から絵を描くとニコニコと明るい笑顔を返してくれた。」

「やはり語学力不足を痛感した。」

原野院長(第3陣隊長)
―隊長ならびに全体のプロジェクトリーダーとしての総括―

「責任者として隊員の安全確保に気が気ではなかった。33名が無事帰国してくれて安堵している。」

「並ではない患者さんが押しかけ、限られた医療資源の中で何処まで診療を行うか葛藤があった。」

「子供は暗い環境の中でも明るく振舞っており希望を与えてくれた。」

「被災から3週間が経過、医療需要は外科治療から内科治療に移行し、地元医療機関も再開してきた。TMATの緊急医療支援のミッションは第3陣で終わったと判断した。」

「各国の医療チームと協調・分担しながらの活動で国際 交流が出来たことは各スタッフの大きな財産となった。」

「日本でこの派遣活動を後方から支えてくれた多くのスタッフに感謝したい。」

「1~3陣通算で551名の重症患者の治療を行った。これは日本から派遣された他のチームをはるかに上回る治療数であると確信している。」

取材を受ける原野院長

取材を受ける原野院長

四街道徳洲会病院からの派遣隊員

四街道徳洲会病院からの派遣隊員