[ジャワ島医療活動日記]

5月28日

税関にて荷物の多さから止められる。災害救助だと説明するもなかなか納得し てもらえなくて、Letterがないかと求められる。タバナン病院のサンジェナ先生からの要請で、そのお迎えが待っていると説明、呼んでくることとなりお迎えのうち、一人入ってきてもらって、税関職員と話しをして了解を得て通ることができました。

5月29日

お昼はサンジェナチームのところでご馳走に預かりましたが、紙に包まれた、インドネシアスタイルのファーストフードです(^_^;)。味はインドネシア風で辛くスパイシー。手で食べる羽目に・・・。 その手もここの水道で洗った・・・って・・・ それでも今回は皆さん下痢をしていません。不思議・・・

5月30日

本格的に活動開始。当初は言葉の壁もありなかなかタバナンチームの診療にな かなか入り込めないところがあったようですが、河内先生がどんどんと入るにつれて村山先生も入るこんでいきました。タバナンの診療のテリトリー(医師 と看護師・パラメディック)の違いに当初は困惑しました。患者の創部のガーゼ交換や簡単な縫合処置などは看護師やパラメディックが行っています。 医師にはそれなりにひどいものしか回ってきません。ちょっと見ていられないところもあるのですが、あまり手を出すと仕事を取ったとかとなり、トラブルのものですので、横からお手伝い程度・・・をしたりと・・・(^_^;)。

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5月31日

前日に依頼があったJgojakartaのDrYAP病院という眼科病院に河内先生とタバナンチームのスタッフが応援に行く。192?年に開設された老舗の眼科専門病院で、眼科医だけで20数名。設備も建物も日本にも無いような豪華な病院だったそうです(河内先生曰く)、自称アジアで一番の眼科病院!とのこと・・・、 まんざらうそでもないかも。この病院は眼科専門病院だけで負傷者がどんどん運ばれてきており、河内先生はインドネシア空軍の軍医とともに15名のギプスまき。

残った村山先生はちょっと押され気味(^_^;)。それでもがんばっていました。夕刻に手の外傷。Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ指の挫滅創の切断・縫合処置後なんですが創部がえらく汚く、WristBlockの後追加でぶり・洗浄・縫合をおこないました。Ⅲ指 の中節骨の途中で切断されているのですが、軟部組織をでぶりすると中節骨も短くしたかったのですが、リュエルも無くしかたなしにPIPまで短くしました。 この処置でやはり簡単な外科処置の道具が必要と感じたということです。

さらに夕刻に小指球部から小指にかけて全周性の縫合があり全体が壊死を起こしている患者さんが来院。一目見ただけでは、切断されたものを縫合しただけのような創部。これは、手術室でこれまたWristBlockにてデブリ、洗浄しました。内部の骨および周辺の軟部組織は残っており、印象としてはDegloveでしょうか。いずれにしろ、骨組織等の遠位からも壊死に陥っていたもので、MPにて離断。開放創にしました。ただ、軟部組織をデブリしたもので、中手骨が少し飛び出しています。これまたリュエルが必要な創部。ただ、この手術は停電中の手術。吉くんの用意してくれたヘッドライトが大活躍です。ほんと助かりました。

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6月1日

昨日の派手な処置(デブリ切断)を見たせいか、今日は手術を2件依頼されました。Ⅳ・Ⅴ指の基節骨骨折とⅢ指の同じく基節骨骨折。ちょうどこの朝にプレートやワイヤー類が届いていたものでちょっと腕を見せようと・・・Ⅳ・Ⅴに ついては、Ⅴはちょうど基節骨の真ん中。背側正中切開で展開し、1.2mmKwireにて遠位端と近位端の近くに横に穴を開けてサージカルワイヤーで固定、さらに1.2mmKwireを1本刺入して固定しました。Ⅳは基節骨のMP関節に近いため固定元が少なくMP側から1.2mmKwireを2本クロスで刺入して固定しました。MPの動きが若干制限されてしまったのですが、固定性はよく、まぁこんなもんでしょうか。Ⅲ指の症例は基節骨の真ん中あたりの骨折だったので、シンプルに1.2mmでクロス固定しました。まぁ、あんなこんなと今回は医者をしてしまっています。ざっとしてますが・・・

河内先生はこちらの整形外科の先生に気に入られたようで、助手について下腿などの骨折の手術をしています。私の2例のあと夜になってからですが下腿骨の骨折の固定をしようとしていましたが、ジェネレータの調子が悪く電源が安定供給されません。点いたり消えたり・・。ここのオーナーから明日はジェネレーターを交換して安定するから手術は明日にするようにと提案があり、明日に延期となりました。

夜、萩原さんがJogjakartaの空港まで宮坂さんを受け入れにいきました。さすがに99個のダンボールは壮観ですね。こちらについてから見ましたが頼もしいものです。2130ぐらいにクリニックに到着し、ボランティアが下ろし私たちが整理するという手順で2230ぐらいに終わりました。

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橋爪 慶人 医師 形成外科
岸和田徳洲会病院 勤務

神戸徳洲会病院が被災した阪神大震災で、ボランティアとして医療活動に参加。

<主な活動実績>
台湾921地震、新潟県中越地震、インドネシア・スマトラ沖地震(タイ、バンダアチェで活動)、パキスタン北部地震、フィリピンレイテ島地滑り災害

<その他コーディネート>
福岡西方沖地震(福岡徳洲会病院)
JR羽越線特急脱線事故(庄内余目病院)
高速船トッピー事故(鹿児島徳洲会病院)