[ ジャワ島医療活動日記より ]

6月6日

第2陣全員で入院患者の総回診(?)おこなう。このうち介達牽引をさ れていた幼女と老婆は骨折のないことが判明。そのまま退院となった。 幼女は牽引をはずしたところで下肢を他動的に動かして、最初のうち幼女は怖がってベッドからおりるのをいやがっていたが、たまたま持ち合わせたアニメーション「PINGU」のDVDを彼女の足下でパソコン上映し たところ徐々に上体を起こし始めた。知らぬ間に結局退院していった。 このほかにも傷病の程度としては通院レベルで十分と考えられる入院患者は少なくなかったが、その多くは家が倒壊し帰るところがないという。親戚などを当たってみるように言ってみるが、ここのクリニックの今後の運営形態がわからないため、対応に窮する。ソーシャルワーキングや仮設住宅の設営など福祉面での充実が望まれる。

入院患者の大半は今後の方針が見え、外来患者も決して多くはない。 しかし震災後1週間がたち、初期治療がなされた傷の感染が目立つ。ひたすら洗うしかない。現在日本で流行の密封療法(サランラップ)が試みられたケースもあるようだが気候が暑いため患者には不評の様子。ソフラチュールがもっとも人気のある総称被覆材らしい。

ギブスを巻かれたり牽引をしている患者が必ずしも骨折しているとは限らないことがわかった。当初はX線撮影が不能であったため、疑わしきは固定する方針だったようだ。今は決して上質とはいえないがX線撮影が可能となっている。

6月7日

今日は朝から困難な症例に遭遇する。血糖値500mg/dlを超えるコントロール不良の糖尿病のご老人。歩いてクリニックには来たものの、左足の親指が見事に腐り落ちている。本人は糖尿病のため痛みを感じていないようで、けろっとしている。おそらくは外傷で骨折を生じ、これが感染したものと思われた。局所麻酔で、日本から持参した骨鉗子で腐った骨をかじりとる。壊死部を極力切除して本日は終了。後日我々の手で本格的な断端形成術をする予定だ。

日中は清水と萩原はジョグジャカルタ周辺のNPOの活動状況と、現地病院の状況を確認するために視察に赴く。最初に訪れたのは中国の国際救援隊のキャンプであった。かなり大がかりな迷彩色のテントで仮設診療所を展開していた。キャンプ内でレントゲン撮影も可能なようだったが、薬剤はどれも見たことがない中国製のものであった。

次に公営のインフォメーションセンターを訪れた。清水が「ここには無線LANがあるのか。」と指摘すると若い職員は「ここにパソコンを持 ってくれば高速インターネットが可能だ。」と自慢気であった。

6月8日

昨夜はタバナン病院よりGPの女医Dr.Srli(スリ先生)が鶏の丸焼きを手みやげに、当クリニックに到着した。地元のチームと我々と彼女とで 回診を行った。べつに3者で申し合わせたわけではないが、帰ることのできる患者を極力帰し、初期治療のまま治療の進んでいない重症患者をしかるべき施設に転送する雰囲気ができあがっており、これにより野外の臨時ベッド数は激減し、多くの患者はクリニックの屋内の病床に収まることができた。あるいは昨夜の会談を受け、理事長(あるいは院長)からベッド移動の指示があったのかもしれない。中にはただ、ストレッチャーを屋外からから屋内に移しただけの患者さんもいたが、それでも炎天下のテント内よりはましかもしれない。

外来は昨日より遙かに少ない。暇を見て子供相手にパソコンでアニメーションの上映をしたところ「テツ・・」といわれた。自分の名札を読んでいたのだ。冗談めかして名刺を配ったら、ノートの切れ端に自分の名前と住所をインドネシア語で書いて返してよこした。手紙をくれと言っているようだが・・・字が読めない・・

腰痛を訴える90代の老婆が2名、うち1名は食事が満足にとれていないために点滴を施行。いずれも外傷は軽微と思われるが、精神的ダメージが大きいようだ。いつの震災でも問題になることだが、精神的なサポートが今後の課題となろう。とはいえ、なぜか点滴の効果は絶大で(?)私にも注射を!私も私も注射してっ!・・という日本の田舎にありがちな光景がその後展開されたのであった。

日中は果てしなく暑い。そろそろクリニックも店じまいの準備を始めた頃、閑古鳥の鳴いていたクリニックの外来が非常に混み合い始めた。 やはり地元の人も暑い日中は行動しないらしい。涼しくなってからどっと押し寄せるが、あたりは真っ暗。電気は通っているものの創の状態などはトーチライトではよく見えず苦労した。本日の日勤帯最後に来院したのは急性硬膜下血腫で他の病院で手術を受け、退院したばかりの女性。 頭痛を訴え、意識も低下しているように見えた。メンバーに緊張感が走ったが、診察の末「家に帰りたくないので入院させて欲しい」というのが本音だったようで、みな一同にほっと胸をなで下ろした。

6月9日

日本領事館を表敬訪問。渡辺正人公使と約20分にわたり会談した。日帰りのジャカルタ往復で、本来ならば最終便でジョグジャカルタに到着する予定であったが、幸いなことに航空ダイヤが乱れ軒並み2時間遅れとなっていたために、16時発の便に滑り込みが可能であった。

現地新聞にわれわれの活動拠点ヌルヒダヤクリニックが載っていたが 理事長・院長の写真入の記事であった。「実際に活動しているわれわれやタバナン病院のスタッフについてはまったく記載がない!」と現地通訳が憤慨していた。まあ、こんなもんでしょと個人的には思うけれど・・

この終盤になって医療廃棄物の処理を問題視する声が上がった。欧米の医療スタッフは特に環境を重視するようである。こちらの生活排水やゴミ処理に医療廃棄物が混入することを避ける方法を確立する必要がある。

 

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清水 徹郎 医師 外科・救急
札幌徳洲会病院 勤務
台湾921大地震の第2陣メンバー。
その後、徳洲会災害医療援助隊の様々な活動に参加し、システム構成に貢献。
各種災害発生時の、情報収集活動に参加。
インドネシア スマトラ沖地震後の医療復興支援活動など、海外での活動も経験豊富。
今回のインドネシア・ジャワ島中部地震の第2陣隊長を務める。